あらまし

希望の像

位置
標高418.14メートル 東経138度11分12秒 北緯36度27分44秒

学校位置を記した碑

沿革 坂城小学校の主なあゆみ

巖谷小波の作

明治
  6年 坂木町を学区と定め、小学校を創設し坂城小学校とする。(創設)
 12月 立町の吉祥寺を仮の校舎とし、上等下等各学校4学年で授業を開始する。
 15年 初・中・高の3科をおいた。
 19年 村名が「坂木」から「坂城」に改称。
 25年 中之条小を収容し、坂城尋常高等小学校となる。
 35年 小学校を字込山に新築。
 37年 坂城町となり、町立となる。
 40年 修業年限が、尋常科6ヵ年、高等科2ヵ年となる。
 41年 校歌制定。(作詞・作曲 林久男)
      中校舎新築  

明治41年 中校舎新築落成式

大正
 10年 奉安殿落成。
 14年 講堂建築落成。

大正14年 講堂上棟式

昭和
  7年 開校30周年祝賀式。ピアノ購入。
 16年 坂城国民学校となり、初等科6年、高等科2年をおく。
 22年 坂城小学校となり全課程6ヵ年となる。PTAが発足。
     従来の高等科に更に1年を加え、坂城中学校が発足。
     小中とも義務制となる。
 23年 和平分校落成。(校舎 65.25坪、敷地900坪)
 27年 開校50周年記念式典。
 28年 給食開始。
 34年 北校舎 全焼。
 35年 再建校舎14教室。プール竣工。
 37年 郷土資料室設置。60周年記念式典。校旗、校章の制定。
 39年 自律学級の開設。
 40年 学有林設置申請者を財産区へ。野口英世の胸像序幕。
 41年 学有林の下草刈りを本校特殊行事として継続的に実施を決定。
 43年 校内テレビ放送開始。
 49年 学校給食センター方式による給食開始。
 52年 校舎新築工事起工式。
 54年 講堂解体。新校舎・体育館竣工。100周年記念式典。
 55年 全国学有林コンクール金賞受賞。みどりの少年団結成。
 59年 みどりの少年団 内閣総理大臣賞 受賞。
 63年 学有林20周年記念行事。校庭拡張。
     PTAの協力によりアスレチック遊具の設置。

昭和7年 開校30周年記念運動会

昭和54年 開校100周年記念「希望」像  木内孝資 作

平成
  元年 ことばの教室設置。プール改修。
  2年 県幼児教育課程研究集会指定校として発表。生活科学習始まる。
  9年 PTAの協力によりアスレチック遊具設置。
 10年 緑と森の祭典にみどりの少年団(6年生)参加。
 11年 創立120周年記念行事。大規模校舎改築工事。プールサイド及びフェンスの改修。
     学有林県知事賞受賞。
 12年 アスレチック遊具の増設。
 13年 中国満城県教育交流会実施。
 14年 中国満城県訪問。第100回校庭運動会。
 15年 PTAの協力でアスレチック遊具の改修。
 16年 130周年記念行事。中国満城県教育交流団訪中。                  
 17年 町合併50周年記念タイムカプセル設置。中国満城県教育交流団訪日。
 18年 中国満城県教育交流団訪中。
 19年 日本PTA全国協議会 会長表彰(団体)受賞。(学有林活動)
 20年 長野県ふるさとの森林づくり賞。森林環境教育推進の部 受賞。中国上海教育交流団訪日。
 21年 国土緑化推進機構理事長賞受賞。全国植樹祭(神奈川県)に参加。(みどりの少年団)
     信州社会科教育研究会第55回研究大会(更埴大会)。
     南校舎、プレイルーム、体育館の耐震化工事始まる。
 22年 南校舎、プレイルーム、体育館の耐震化工事終了。
 23年 教育課程研究協議会(道徳)。焼却炉撤去。南長野ブロック人権教育研究協議会発表校。
 24年 生活に根ざす信州総合・生活科教育研究会第22回研究大会。
     教育課程研究協議会(算数科)。 中国上海市教育交流団訪中。
     学童疎開との交流会と記念碑の序幕
 25年 全郡研究発表校(学有林活動【総合的な学習の時間】)
     坂城の歌発表会に参加(4年生F.Uさん 特別賞受賞→「ねずこんの歌」となる。)
 26年 140周年記念行事 航空写真 リーフレット
 27年 体育館天井落下防止等対策工事
 28年 プール改修工事 
     全国植樹祭に6年生9名参加 学有林運営委員会が長野県みどりの功労者として表彰される。
     学有林50周年 春の学有林活動でシラカバ50本植樹 学有林にかかわる学習発表会実施
     記念文集「学有林への道」発行 

平成11年 校庭築山工事

平成24年 学童疎開記念碑

平成28年 学有林50周年記念植樹

校歌 坂城小学校校歌  作詞作曲 林 久男(文学士、京都三高教授)

一 月に名髙き鏡臺や    五里ヶ髙峯を北に負ひ
  千曲の流れを西に帯ぶ  郷は自然の大花園
  あゝ葛尾のわが郷や   あゝうるはしきわが園生
 
二 園のま中の学校は    をさな健児の花のむろ
  古々に萌えづる若みどり やがて國士の實をむすぶ
  こゝに生ひたつ鵬の雛  やがて図南の翼をうつ

三 あゝ葛尾のわが郷や   森に祖先の霊やどり
  谷に古人の聲をきく   今も城趾の松風は
  名将村上義清の     偉名を千代となりひゞく

 (4~8番は省略 明治四十一年二月制定)

※ 林 久男(明治十五年・1882年~昭和九年・1934年)先生は、本校出身で学区の
  御所沢区に生まれる。京都三高教授であり、大正から昭和の初めのドイツ文学者である。
  明治四十一年(1908年)に本校の校歌を作詞作曲された。六年生の時、親に内緒で
  上田中学を受けて合格した。家が貧しかったので、上田中学へは毎日歩いて通った。
  東京大学ドイツ文学科を卒業され、やがて京都にある第三髙等学校の教授となり、我が国第一の
  ドイツ文学者となられた。たくさんの本を書かれるとともに、三十年間、毎日日記を書き続けた。

校歌碑